映画『馬』(1941・日本) | 高峰秀子、子役から女優へ。

『馬』(1941・日本)

9月21日は山本嘉次郎監督の命日。
1974年に72才で惜しくも亡くなられて、今年で46年を数える。

今回取り上げた、氏の代表作『馬』は、現在のところ残念ながら視聴が困難なようだ。

戦時中に、国威を発揚するために作られた“軍国映画”という肩書きをもつ本作だが、それらしい箇所は冒頭のテロップくらいで、戦争の匂いは皆無に等しい内容となっている。

あらすじはウィキペディアに詳しいので、こちらではコメンタリを集めてみた。
主演の高峰秀子さん、山本嘉次郎監督、脚本家の小林勝さんがこの映画について語っておられるので、紹介させていただく。

「わたしの渡世日記(上)」より 高峰秀子(新潮文庫)

カメラの横にいた山本嘉次郎から「ヨーイ!」という声が掛かった。くつわを取っていた馬方がサッと画面から外れた。「ハイッ」と、また山本嘉次郎の声が掛かった。助監督の銀ちゃんがいきなり馬のお尻に石を投げたからたまらない。ビックラした馬はピョン! とはね上がって疾風の如く走り出した。自転車じゃないからブレーキがあるわけでなし、私はどうやったら馬がとまるのかも教わっていない。私は馬の首にしがみついたが、身体は徐々に横倒しになってゆくばかり……。あとは落ちるだけである。いつまでたっても止まらない馬に驚いて、馬方はじめスタッフの全員が、ワアワア言いながら馬を追って駆け出してきた。馬はなおさら驚いて速力を増す。私の身体は馬の上で一回転し、目を開いて見たら馬のノドのあたりにしがみついていた。
「もうダメだ! 落っこって、馬のヒヅメにかかって、一巻の終わりだ!」
そう思ったとたんに、何を思ったのか、馬がトトトッと立ち止まったのである。馬方が追いついて、馬の前にまわり、スタッフのだれかが、私を抱き下ろした。あと十秒、いや、あと五秒遅かったら、私は馬のヒヅメに踏みつぶされて肋骨がグシャグシャに折れ、この世に別れを告げていただろう。馬は利口な動物で決して人聞を踏まない、というけれど、条件次第でどうなるかは分かったものではない。
私は、ショックでさすがに顔から血の気が引き、身体がガクガクと震えていた。黒澤明は私を抱きしめてしゃがんだまま、私の背中を、まるで赤ン坊をあやすように撫でたり、叩いたりして、荒い息を吐いていた。
黒澤明の、強い、しっかりとした両腕に抱かれた私は、彼の首すじにしがみつきたい気持ちを抑えながら、なんともいえない安心感に、身体の力がフニャフニャと抜けてゆくのを感じていた。

高峰秀子「わたしの渡世日記〈上〉」 (文春文庫)

 

「にんげん住所録」より 高峰秀子(文春文庫)

「馬」の東北地方のロケ現場は、盛岡、新庄、鳴子、横手、尾花沢、湯瀬、花巻、と、転々と替わった。ロケーション撮影は、夜間撮影がないかぎり夕刻には終る。夕食後から就寝まではスタッフの自由時間だから、麻雀や花札を遊ぶ人、読書をする人、将棋盤に向かう人、と、それぞれが好きなように時間を使う。しかし、クロさんだけは夕食が終るとサッと姿を消してしまって、どこにもいなかった。
あるとき、就寝前にお風呂に入った私が二階への階段を上りかけると、いきなり階段下の布団部屋の板戸がガラリと聞いて、中から四つん這いになったクロさん(黒澤明)が這い出してきたので、私はビックリして立ちどまった。うずたかく積まれた夜具の間に小さな机が押しこまれ、机の上には書きかけの原稿用紙が載っていて、天井から裸電球がぶら下ってゆれていた。そばを通りかかった宿の女中さんが、「あれ、今夜はもう終いかね?」といいながら二階へ上っていったのを見た私はようやく納得がいった。クロさんは毎晩、夕食後の時間に布団部屋に閉じこもって、脚本を書いていたのだった。その後もロケ地が替わり、宿が替わっても、クロさんはいつも布団部屋か納戸で何かを書いていた。私が見た、世界のクロサワの青年時代の一コマである。

高峰秀子「にんげん住所録」 (文春文庫)

 

「にんげんのおへそ」より 高峰秀子(新潮社)

「使い捨て」。それが軍馬の運命といってしまえばそれまでだけれど、あまりに哀しい。
映画「馬」の冒頭には、東條英機陸軍大臣の言葉がそえられている。「飼養者の心からなる慈しみに依ってのみ、優良馬──将来益々必要なる我が活兵器──が造られるのである」
と。軍馬育成奨励の国民映画としての「馬」は興行的にも大ヒットをした。が、「活きた兵器」である「馬」のラストシーンに、あの長い長い二カットを使った演出家、山本嘉次郎にとって、東條大臣のステートメントはいささか空虚でうそ寒い心地がしたのではないだろうか?
おもえば、映画「馬」には、ひっそりと静かな戦争反対という下敷きがかくされていた、と、いま気づくのは私だけだろうか?

高峰秀子「にんげんのおへそ」(新潮文庫)

 

収録シナリオ解説 小林勝 「日本映画代表シナリオ全集6」より (キネマ旬報社)

もちろん映画のできばえはすばらしく、とくに高峰秀子がスターの地位をこの一作で確保したことは記念すべきことがらである。彼女は古くから子役として名をなしていたが、少女期から青年期にうつるブランク時代に、幸運な星をつかんだのであった。もちろん才能のある人であるから、この配役を恵まれないにしても、いつかは名をなす人であったろうが、われわれは「馬」のいね(※ 役名)を見て、彼女のカム・バックに驚いたものである。

「馬」について 山本嘉次郎「日本映画代表シナリオ全集6」より (キネマ旬報社)

昭和の十一年だったか、上州の四万温泉の宿の帳場で、盛岡の馬市の実況放送を聞いた。せりの興奮、売る人たちの喜びや悲しみ、それをねらう旅芸人やテキ屋の群れ……怒濤のように、その生き生きとした力が、こッちの胸に蔽いかぶさって来た。何年にない感激であった。
それから、シナリオ・リサーチの旅へ出かけた。東北六県を歩きまわり、約一年かかった。いよいよ書き出した。助監督をしていた黒沢明君が執筆を手伝ってくれた。
仔馬の生れる場面は、徹夜になった。ちょうど、夜中の三時頃、うちの犬が、子を生みはじめた。家内や、家のものが、忙しく、とり上げたり、ヘソの緒を切ったり、温湯で拭いたり、大騒ぎをした。それらを見ながら、書いた。やはり、この場面が、一番迫真性をもっていた。
書き上げたが、会社では「ウチは動物園ではございません」というヒドイ言葉で、突返された。
なんとしても、作りたいので、ままよ! と、陸軍省馬政課というところに、脚本をもち込んだ。間もなく、陸軍大臣東条英機の名で「東宝会社に製作を命ず」と書状が来て、ようやく陽の目を見ることが出来た。今でも、後味の悪い思いである。

 


 

東宝映画『馬』オープニング

東宝映画 『馬』 オープニング

 

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